赤い旅団(読み)あかいりょだん(英語表記)Brigate Rosse

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤い旅団」の意味・わかりやすい解説

赤い旅団
あかいりょだん
Brigate Rosse

イタリア最大,最強のテロ・ゲリラ組織。マルクスレーニン主義を信奉する左翼急進学生組織として 1970年頃ミラノで結成された。当初イタリアの体制破壊を目標とし,78年のモロ首相をはじめ政財界などの要人誘拐殺害,爆弾テロなどを起した。その後闘争目標が拡大し,81年 12月にドジャー NATO軍司令官の誘拐を実行。近年はアメリカの SDI研究関連機関と個人を目的にしているとされる。西欧のみならず中東のテロ組織とも連携しており,84年2月にはシナイ半島の国連監視軍アメリカ人総監のレーモン・ハントを虐殺した。またこの年に戦闘共産党と戦闘共産主義組合の2つの分派組織が形成され,主流派である前者が 88年4月にデミタ首相の片腕といわれたルフィリ上院議員を射殺している。

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デジタル大辞泉プラス 「赤い旅団」の解説

赤い旅団

《Brigate Rosse》イタリアで活動する極左過激派組織。1969年結成。1978年にはモーロ元イタリア首相を誘拐・殺害。1980年代のイタリア当局によるメンバー摘発の結果弱体化し、1988年に事実上解散。

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世界大百科事典(旧版)内の赤い旅団の言及

【イタリア】より

… 70年代はさらに,左右の過激派の政治テロが激化した時期でもある。1968年以降,直接行動を志向する議会外新左翼の運動が活発となったが,そうした中から都市ゲリラ的性格をもつ〈赤い旅団〉が生まれた。〈赤い旅団〉は国家権力の中枢部を攻撃目標として,政治家や企業家など要人の誘拐や暗殺を企て,実行した。…

【モーロ】より

…おりから共産党はDCとの〈歴史的妥協〉を唱えており,その最も信頼のおける対話者がモーロだった。そして共産党が初めてDC政権(第4次アンドレオッティ政権)を信任することになっていた78年3月16日,彼は極左集団〈赤い旅団〉に誘拐され,5月9日殺害された。【村上 信一郎】。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」