貝掛村(読み)かいかけむら

日本歴史地名大系 「貝掛村」の解説

貝掛村
かいかけむら

[現在地名]阪南町貝掛

波有手ぼうで村の南西にあり、北西は大阪湾に臨む。村の北部を孝子きようし峠越の道が通る。南部には貝掛古墳群がある。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図に「かいかけ村」とみえ高四三二石余。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳では六二三石となり、以降大幅な変化なく幕末に至る。領主変遷は寛永六年(一六二九)幕府領となるまでは尾崎おざき村に同じ。その後、幕府領として続くが、寛文二年(一六六二)大坂城代青山宗俊領となり延宝六年(一六七八)には大坂城代太田資次領となった。

貝掛村
かいがけむら

[現在地名]勝浦市貝掛

上野小羽戸うえのこばど村の南西に位置し、夷隅いすみ川が流れる。寛文四年(一六六四)の阿部正春領知目録(寛文朱印留)に貝掛村とみえ、武蔵岩槻藩領。元禄郷帳では高六六石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳には貝懸村とあり、高七五石余、家数三三、三卿の清水領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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