豆酘村(読み)つつむら

日本歴史地名大系 「豆酘村」の解説

豆酘村
つつむら

[現在地名]厳原町豆酘・浅藻あざも

西内院にしないいん(豆酘内院村)西方対馬島の南西端に位置する。北東竜良たてら山・木槲もくこく山、北西雲刺うんつ山などがある。「津島紀略」に府中ふちゆうより四里八町、「津島紀事」では府中まで水路六里とある。南は対馬海峡に臨み、遠く肥前松浦まつらに相対する。「和名抄」に記される下県郡豆酘郷、中世より近世にわたる豆酘郡の遺称地で、歴史的遺跡が多く、民俗伝承もよく残る。「郡方毎日記」寛永一五年(一六三八)条に「酘豆」とみえる。寛文二年(一六六二)検地帳に豆酘郡醴豆村とあり、高一〇〇石余。元禄一六年(一七〇三)の対州郷村帳では豆酘郷豆酘村として田畠木庭物成二七一石余、家数一六七・社八・寺五、人数六二五・給人一五・公役人五三・肝入三・猟師二三、牛四〇・馬八五、船一〇で、寺は禅宗の永泉えいせん寺・潮海ちようかい庵・耕月こうげつ庵・自湛じたん院のほか、真言宗金剛こんごう(現高野山真言宗)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報