諸福村(読み)もろふくむら

日本歴史地名大系 「諸福村」の解説

諸福村
もろふくむら

[現在地名]大東市諸福一―八丁目・太子田たしでん二丁目・灰塚はいづか二―三丁目

新田しんでん村の南に続き、現市域の最南西部に位置する。南は新開しんかい(現東大阪市)に接していたが、同池は干拓後は鴻池こうのいけ新田(現同市)となり、境を寝屋川が流れる。集落は同河川右岸の自然堤防上にある。茨田まんだ郡に属する。「経俊卿記」正元元年(一二五九)四月二二日条に諸福庄がみえ、仙心なる者と藤原公蔭が同庄をめぐって係争しているが詳細は不明。下って室町後期には京都北野社領八箇所はつかしよを構成する一村で、「北野社家日記」明応二年(一四九三)二月二三日条の「八ケ所村々名事」に地名がみえ(門真市の→八箇所、天正五年(一五七七)二月二日付羽柴秀吉書状(東宏氏蔵)宛名に「諸福庄福巌庵」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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