諸村(読み)もろむら

日本歴史地名大系 「諸村」の解説

諸村
もろむら

[現在地名]小諸市諸

浅間山(二五四二メートル)の西に続く高峰たかみね(二一〇五メートル)の南麓、飯綱いいづな(八五五メートル)の麓にあり、後平うしろだいら村・滝原たきばら村・西原にしはら村・小諸城下に接する。

諸村は文禄四年(一五九五)の御郡中永楽高辻(大井文書)に「三百五拾貫文 諸村」と記されている。「和名抄」に載る「大村郷」はこの辺りを中心としており、大村郷とは当時比較的大きな集落があってそのまま郷名になり、後世発音上の転訛で村―室―諸となったものといわれる。また古代の官道である東山道の清水駅の所在が村内に比定されている。

養和元年(一一八一)木曾義仲の横田河原合戦の陣中には「大室・小室を先トシテ」とあり、小室(諸)太郎光兼は小諸に住し、その後義仲と源頼朝との不和の際、両者の連絡役を果した人物で(参考源平盛衰記)滋野氏の一族大室氏・小室氏がこの辺りを支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報