見川村(読み)みがわむら

日本歴史地名大系 「見川村」の解説

見川村
みがわむら

[現在地名]水戸市見川一―五丁目・見川町

水戸城下南西に位置し、千波せんば湖周辺の低地より南西に広がる台地上の村。村の中央を桜川が西から東へ、次いで南から北へと迂回して流れ、村の北端千波湖に注ぐ(現在は注がず同湖の北岸沿いに東流)。北は見和みわ村。

中世は大掾氏、次いで江戸氏の支配下にあった。建暦三年(一二一三)吉田社領家小槻国宗下文写(吉田神社文書)には「箕川村」、元亨三年(一三二三)の吉田社領家小槻某預所僧教有下文写(同文書)と嘉暦二年(一三二七)の吉田社領家小槻千宣御教書写(同文書)には「箕河村」とみえ、常陸大掾伝記断簡写(同文書)に「青柳・袴塚・箕河・吉沼・河崎・枝河、此等ハ馬場ノ名也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報