西目潟跡(読み)にしめがたあと

日本歴史地名大系 「西目潟跡」の解説

西目潟跡
にしめがたあと

西目川の下流、盆地状に広がる水田地帯の北部一帯は、かつて西目潟とよばれた沼地であった。国鉄羽越本線西目駅の南が西目潟の北端で、潟端かたばたの地名が残る。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に沼と記され南北一三町、東西一四町とある。潟の南の良田は、しばしば冠水の被害を受けた。西目潟の干拓事業は、文政一一年(一八二八)着工された。潟保かたほ村の佐藤重左衛門が指揮をとり、郡奉行淵名孫三郎の設計、本荘古雪ふるゆき町の商人鈴木七郎右衛門の出資で、天保六年(一八三五)にいちおう完成した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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