西有田町(読み)にしありたちよう

日本歴史地名大系 「西有田町」の解説

西有田町
にしありたちよう

面積:三八・六八平方キロ

西松浦郡の北西部、西にし山地まきノ山・黒髪くろかみ山地の中を北流する有田川流域を占める。

有田川の北流を阻み曲流させているのが流紋岩の小丘で、この天然の要害を利用したのが中世有田氏が拠った唐船とうせん城である。天正四年(一五七六)竜造寺氏に攻略され、のち鍋島氏の支配となる。豊臣秀吉朝鮮出兵に従った鍋島氏は帰国に際して陶工を含めた朝鮮人を帯同、町内に製陶遺跡などがある。陶石原料となる流紋岩の存在が窯業立地の要因となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報