西大友村(読み)にしおおどもむら

日本歴史地名大系 「西大友村」の解説

西大友村
にしおおどもむら

[現在地名]小田原市西大友

西は桑原くわはら村、北は足柄上あしがらかみ下大井しもおおい村、東は東大友村永塚ながつか村に接する。西を鬼柳おにやなぎ堰が流れる。平安時代末と推定される荒陵寺御手印縁起に「足上郡大伴郷」、「吾妻鏡」文治四年(一一八八)一二月一七日条に「相模国大友郷」とみえる。小田原衆所領役帳には三郎「百八拾貫文 西郡西大友」とある。天正一八年(一五九〇)四月日の豊臣秀吉禁制(県史三)は「西郡大とも」に宛てられ、同一九年閏正月二五日の検地帳(県史四)は「西大友村」とする。

近世は小田原藩領。貞享三年(一六八六)の村明細帳(松島文書)によれば家数四一、うち名主一・組頭四・本百姓二四・水呑一七、人数一八八、馬一五。

西大友村
にしおおともむら

[現在地名]岡崎市西大友町

矢作川右岸沿い、東大友西隣の低い自然堤防上にあり、西端を中世の頃まで矢作川の支流が流れ、その低所は現在鹿乗かのり用水路となっている。北は橋目はしめ村、西は碧海へきかい台地上の小針こばり村、南は宇頭うとう村に接する。近世を通じて岡崎藩領で上野手永に属す。元禄年代(一六八八―一七〇四)に大友村は東西両村に分れて明治に至る。宝暦一二年(一七六二)村高二四〇石余。享和二年書上には、人別一五六人、うち男七〇・女八六、馬二匹。岡崎城下伝馬てんま町高札場まで一里一一町とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android