西北条郡(読み)さいほくじようぐん

日本歴史地名大系 「西北条郡」の解説

西北条郡
さいほくじようぐん

津山盆地の中央部から北西部、香々美かがみ川中・上流域にかけて位置する。北から西は西西条さいさいじよう郡、南は久米南条くめなんじよう郡、東は東南条とうなんじよう郡・東西条とうほくじよう郡に接する。郡域は現在の津山市の一部と苫田とまた鏡野かがみの町の東部にあたる。苫西とまにし郡から分れて成立した郡で(→苫東郡、初め苫南とまみなみ郡と称したが、中世末期には西北条郡とよばれていたという。慶長八年(一六〇三)の森氏美作入封後もこの名称を踏襲したが、東北条郡と同じ理由で寛文元年(一六六一)苫南郡、元禄一一年(一六九八)西北条郡になった。

正保郷帳に載る村は二三村、毛付高八千九〇九石余、うち拝領高七千六九八石余(田方五千八〇二石余・畠方一千八九五石余)、新田畠一千二一一石余、ほかに三八四石余の荒川成があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報