行人町
ぎようにんまち
[現在地名]会津若松市
行仁町・
旭町 横三日町の北に続き、北は滝沢町に至る、長さ四町三五間余・幅五間、家数六五。東の方に小路が二条あり、南の小路は東名子屋町に通じ、北の小路は田圃に通ずる(新編会津風土記)。文禄(一五九二―九六)頃この地に行寿という行者(修行僧)がいたための町名。博労町で行われていた馬市は、元禄一三年(一七〇〇)秋より、この町の馬場で立てられるようになった。「戊辰若松城下明細図」には赤沼稲荷神社の東側、東名子屋町北端の北西に新馬場と記される。馬市がいつまで行われたかは定かでない。文化四年(一八〇七)の「若松風俗帳」に「此町工商並馬尾篩地織住居仕候」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報