藤植検校(初代)(読み)ふじうえけんぎょう

朝日日本歴史人物事典 「藤植検校(初代)」の解説

藤植検校(初代)

生年生没年不詳
江戸中期の地歌箏曲家,胡弓奏者。姓は「ふじえ」とも読み,藤上とも書く。名は喜古一,元文1(1736)年検校。馬場文耕の『当世武野俗談』(1757)によれば,江戸麹町5丁目に住み,胡弓の名人であった。その胡弓は「四筋の糸を懸けて」おり,藤植検校が従来の三弦胡弓に対して新たに四弦の胡弓を創始したことがわかる。また老中堀田正亮が藤植を贔屓にし,絶えず呼び寄せていたため,人は藤植を介して堀田に取り入ろうとしたという。四弦胡弓藤植流として継承され,特に江戸の山田流箏曲に結びついて発展し,現在に至っている。代々の藤植検校名は幕末明治期の7代目まで数えた。

(大貫紀子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報