朝日日本歴史人物事典 「藤原忠衡」の解説
藤原忠衡
生年:仁安2(1167)
平安時代末期の武将。奥州藤原氏の3代藤原秀衡の3男。平泉の泉屋に館を構えていたので,泉三郎という。源義経に同意していたということで,義経が討たれたのち,兄の泰衡に殺された。
(大石直正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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