藉(籍)田(読み)せきでん(英語表記)jí tián

改訂新版 世界大百科事典 「藉(籍)田」の意味・わかりやすい解説

藉(籍)田 (せきでん)
jí tián

中国において親桑とともに勧農と豊饒を祈願するための農耕儀礼。《周礼(しゆらい)》や《礼記(らいき)》などにすでにその記事が認められるが,前漢文帝の治世以後実施されるに至った。新石器時代以来の社会通念である〈夫耕婦績〉にのっとって,皇帝が藉田を,皇后が親桑(親蚕とも言う)の儀礼を分担する。皇帝と皇后とは夫婦として性別による分業を示し,天下の匹夫匹婦に農桑に努むべきことを教導した。藉田親桑とも三春(1月,2月,3月)のうちに執行された。皇帝はまず神農炎帝をまつり,耒耜(らいし)をもって鋤起しの所作を行い,公卿大夫士庶がこれに倣って藉田1000畝の鋤起しを完了する。皇后は内人および公卿諸侯の妻妾とともにみずから採桑および養蚕の模擬行為を行うかたわら蚕神をまつった。藉田親桑の儀礼は,形式を変えつつ歴代の王朝にも引き継がれ,また東アジアの各国に伝来した。正倉院には孝謙上皇所用の〈子日手辛鋤(ねのひのてがらすき)〉と〈子日目利箒(ねのひのめときのははき)(玉箒)〉が架蔵されている。
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世界大百科事典(旧版)内の藉(籍)田の言及

【勧農】より

…農業を勧めること。
【日本】

[古代]
 律令政府はこれを〈勧課農桑〉と表現した。戸令国守巡行条によると,律令制下の国守は年に一度,管内を巡行することを義務づけられており,そのさい,郡領を督励して,農業をおこし,荒田を出さず,開墾に力をそそぐことになっていた。また政府は大麦,小麦,粟,黍,大豆,小豆などの陸田耕作をも奨励し,計帳使に耕種の町段・収穫量を報告させている。また730年(天平2)には諸国に命じて桑漆帳の記載を厳格にし,国内を巡検して殖満させるようにした。…

【皇后】より


【日本】
 天皇の嫡妻。上古には天皇の妻室である后妃をキサキといい,その最上位者を〈大后〉すなわちオオキサキと称したが,中国の制に倣ってからこれを皇后と称した。《令義解》は皇后に〈天皇之嫡妻〉と注しているが,のちには天皇と配偶関係のない皇后が置かれたこともある。長秋宮,秋の宮,椒房(しようぼう),椒庭(しようてい)などは皇后の別称である。
[資格]
 令制によると,皇后は内親王から選定するとあるが,聖武天皇が藤原不比等の女安宿媛(あすかべひめ)(光明皇后)を皇后に立てて以来,内親王以外からも皇后に立てる例が開かれた。…

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