荒地村(読み)あらじむら

日本歴史地名大系 「荒地村」の解説

荒地村
あらじむら

[現在地名]旭村荒地

鹿島灘沿岸の台地上にあり、北は沢尻さわじり村。江戸時代は天領(一部は享保一〇年宍戸藩領)で、正保四年(一六四七)の荒地村反目高帳(石崎家文書)によれば、総名請人数四二人中二七人が三石未満、うち一石未満一七人中一二人は村外居住者であった。元禄一五年(一七〇二)・正徳三年(一七一三)・安永元年(一七七二)検地が実施され、畑地が多く反収は低く見積られている(茨城県史料)。明和八年(一七七一)宗門人別改帳(石崎家文書)に百姓家数三九・惣人数二〇二、うち男一〇九・女九三とあり、天保九年(一八三八)の宗門人別改帳(同文書)には百姓家数三一・惣人数一五九と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報