芳養庄(読み)はやのしよう

日本歴史地名大系 「芳養庄」の解説

芳養庄
はやのしよう

現田辺市の西端、芳養川流域一帯に比定される山城石清水いわしみず八幡宮寺領。嘉応元年(一一六九)九月二九日付紀伊国司庁宣写(鞆淵八幡神社文書)に「出立号芳養」とあるようにもとは出立でたち庄と称した。芳養を「芳益」と記した例もある。

延久の荘園整理の一環として出された延久四年(一〇七二)九月五日付太政官牒(石清水文書)に、かつての石清水八幡宮寺領三四ヵ所のうち、もとどおり領掌が認められた二一ヵ所が記されるが、紀伊国には六ヵ所あり、その一として「出立庄」がみえる。同官牒によれば出立庄は天徳二年(九五八)仏子幡助らが四至を定めて八幡宮寺に施入したもので、その後「寛弘五年郡符云、免除出立庄庄寄人臨時雑役、并庄田任坪付、又長和四年件田拾参町免除、又長元五年依御寺申請、免除荒熟并弐拾町余」で同官牒に引く国司注文も「件芳益庄前司良宗任所立也」といい結局、「雖無指官省符、在起請以前」として「庄田荒熟并弐拾町」の領掌を認めている。なお、大治二年(一一二七)八月一七日付紀伊国在庁官人等解案(林家文書)に引く日前国懸ひのくまくにかかす(現和歌山市)の社司神人等解状に「神社仏寺御封之代、依請以所在公田内被便補者、当他普通之例也、近則熊野本宮御封十烟之代、被便補牟婁郡芳益村見作田伍町所当官物」とあり、芳益村現作田五町の年貢が、封戸の貢納の代りに熊野本宮に宛てられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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