花巻村(読み)はなまきむら

日本歴史地名大系 「花巻村」の解説

花巻村
はなまきむら

[現在地名]花巻市四日町よつかまち一―三丁目・下幅したはば愛宕町あたごちよう一日市ひといち坂本町さかもとちよう大通おおどおり一―二丁目・松園町まつぞのちよう浅沢あさざわ天下田てんかだ南新田みなみしんでん新田しんでん一本杉いつぽんすぎ愛宕沢あたござわなど

ほぼ南流する北上川と東流する豊沢とよさわ川の合流点付近に位置する。中世には当地一帯は鳥谷とやさきと称され、戦国期には稗貫氏の本城鳥谷ヶ崎城が置かれた。天正一九年(一五九一)南部氏の郡代北氏が同城に入城、のち花巻と改称されたという。

花巻村
はなまきむら

[現在地名]黒石市花巻

黒石城下東南の山形やまがた街道に沿い、豊岡とよおか村と下目内しもめない村の中間に位置する。嘉永六年(一八五三)の黒石領御日記(市立弘前図書館蔵)に「花巻村元小杭野村ト申候」とあるように、古くは小杭野おぐいの村とよばれた。元禄二年(一六八九)の黒石平内巳年郷帳(同館蔵)に「小杭野村」、元禄四年の黒石御絵図(同館蔵)に「小喰野村」とある。いつ頃から花巻とよばれるようになったかは不明だが、安永一〇年(一七八一)の手本山形道中記(浅瀬石川郷土誌)では「花牧村」とあり、「専田畑を耕し、家並もよく富貴なる所なり」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報