興福寺(長崎市)(読み)こうふくじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「興福寺(長崎市)」の意味・わかりやすい解説

興福寺(長崎市)
こうふくじ

長崎市寺町にある黄檗(おうばく)宗の寺。東明山と号する。長崎の崇福寺(そうふくじ)、福済寺(ふくさいじ)とともに唐三か寺に数えられ、南京寺(ナンキンでら)、唐寺(とうでら)ともいわれる。当初、この地は中国明(みん)人欧陽(おうよう)氏の別荘であったが、1620年(元和6)明僧真円が来朝して住したのを機に、長崎在住の明人が寺に改めて菩提寺(ぼだいじ)とし、真円を開基に迎えたと伝える。のち、如定(にょじょう)、長崎漢画の祖とされる逸然性融(いつねんしょうゆう)が継承し、1654年(承応3)黄檗山の隠元(いんげん)が入寺するや寺運は隆盛を極め、山内には東廬(とうろ)、桃林、永興、永福、資福の5末庵(あん)を数える大寺となった。寺域5000余坪(約165アール)には本堂、旧唐人屋敷門(いずれも国の重要文化財)、媽姐(まそ)堂などが建つ。本堂は大雄宝殿とよばれ、純唐風の堂として貴重で、隠元禅師の扁額(へんがく)を掛ける。

[里道徳雄]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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