膝折村(読み)ひざおりむら

日本歴史地名大系 「膝折村」の解説

膝折村
ひざおりむら

[現在地名]朝霞市膝折・膝折町一―五丁目・幸町さいわいちよう一―三丁目・本町ほんちよう一丁目・泉水せんずい一丁目・同三丁目・三原みはら一丁目・同五丁目

野火止のびどめ台地東部、北東流する黒目くろめ(久留目川)流域にある。東は広沢ひろさわ原を経て上新倉かみにいくら(現和光市)、西は野火止宿(現新座市)。川越街道がほぼ東西に横断し、膝折宿が立てられている。村名は小栗小次郎助重が賊に追われて馬で当地まで逃れてきたところ鬼鹿毛というその馬が膝を折って死んだことに由来すると伝える。また昔高麗こま郡高麗の城が落ちたあと家臣五名が逃れて来て、原野であった当地を開墾し居住したという伝承がある(風土記稿)。文明一〇年(一四七八)一月太田道灌は長尾景春方の豊島泰経の籠る平塚ひらつか(現東京都北区)の城を攻撃するため「膝折宿」に着陣した(同一二年一一月二八日「太田道灌書状写」松平文庫所蔵文書)。同一八年野火止から当地に入った聖護院道興は「これを過てひさおりといへる里に市侍り、しハらくかりやに休て」と記し、「商人ハいかて立らん膝折の市に脚気をうるにそ有ける」と詠じている(廻国雑記)。膝折はすでに室町期から宿駅の機能をもち、市が立てられて商人が集まっていたことがわかる。また道興の歌に詠まれた「脚気」は椀を盛る台のついた籠のことで、脚籠きようけともよばれた。江戸期にも膝折の市で売られた。「風土記稿」にも物産としてあげられ、主産地の入間いるま安松やすまつ(現所沢市)から安松ざるともいうと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報