能地(読み)のうじ

改訂新版 世界大百科事典 「能地」の意味・わかりやすい解説

能地 (のうじ)

広島県三原市に属する漁村で,古くより船を住いとして生活する家船(えぶね)漁民の出身地として有名である。家船漁民としては,このほか長崎県の西彼杵や平戸島の幸ノ浦,あるいは五島を根拠地とするものが知られている。能地漁民の多くは,船を家として暮らし,主として瀬戸内海を中心に,打瀬網(うたせあみ)漁などに従事しながら,漂泊,移動をした。そのため瀬戸内地方の各地に分村や寄留地が形成され,1704-1887年(宝永1-明治20)におよそ100ヵ所があったといわれる。また彼らは,他の多くの漂泊民がそうであるように,平家の落人(おちうど)伝説(平家伝説)を語りつぎ,みずからをその末裔(まつえい)と考えてきた。彼らの妻はハンボウと呼ぶ桶に魚を入れて,これを頭の上にのせて売り歩き,島根や山口県ではカネリノージ,広島や岡山県ではカベリと呼んだ。

 なお,瀬戸内海を生活の場としていた船上生活漂泊漁民としては,ほかに広島県の吉和豊島箱崎や二窓の漁民が知られている。
家船
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の能地の言及

【シャア】より

…大分県臼杵市北部の都留(つる)に住む漁民を呼ぶ俗称。1605年(慶長10)に,当時の安芸国能地(のうじ)(現,三原市内)から移住した平家の舎人(とねり)の車者の子孫であるという伝承がある。シャアという呼称も車者に由来するとされている。…

【瀬戸内海】より

…明治以降は鉄道の発達によって沿岸航路が廃止されたところもあり,大型の汽船が普及してからは小規模な港町の多くは衰退した。第2次大戦前までは沿岸独特の習俗として,家族が単位となって船上で生活のいっさいをまかなう家船(えぶね)が,現在の広島県因島市箱崎,三原市能地(のうじ)などを根拠地として内海各地で多くみられた。また大陸伝来のものと考えられる独特の石ぶろ(蒸ぶろの一種)が,古くから沿岸西部,とくに山口県で多くつくられ,住民の医療目的を兼ねたいこいの場となっていたと思われる。…

※「能地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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