聖嶽洞穴人(読み)ひじりだきどうけつじん

改訂新版 世界大百科事典 「聖嶽洞穴人」の意味・わかりやすい解説

聖嶽洞穴人 (ひじりだきどうけつじん)

1962年と68年に大分県南海部(みなみあま)郡本匠村(現,佐伯市)の宇津々にある聖嶽洞穴から,別府大学の賀川光夫たちによってに発掘された人骨。1962年に発見された頭頂骨後頭骨が接合した破片は,小片保によって,極めて厚く,中国の山頂洞人と似ているとされた。また,洞穴内から細石刃が発見されたこともあわせて,人骨の年代は1万4000年ほど前と考えられた。98年この人骨を調べた馬場悠男は,化石化の程度が低いこと,同様な形態が江戸時代人に見られることから,更新世にさかのぼることに疑問を呈した。99年には,春成秀爾や橘昌信たちによって検証発掘が行われたが,その過程で,そもそも細石刃の由来や1962年および68年の発掘自体の学術的信頼性が充分ではないことが明らかになった。さらに,99年に発掘された人骨の放射性炭素法による年代測定が,松浦秀治と近藤恵によって行われたところ,中世以降の年代であることがわかった。そのような背景の中で,遺跡捏造の疑いをかけられた賀川が2001年に自殺するという事態が起こった。ただし,肝心の頭頂骨と後頭骨が接合した破片の分析はなされていないので,最終的な結論は出ていない。なお,1962年に発見された距骨は,北川賀一たちによって,形態的にはとくに古いとはいえないと報告されている。
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