習宜別業(読み)すげのべつぎよう

日本歴史地名大系 「習宜別業」の解説

習宜別業
すげのべつぎよう

[現在地名]奈良市西大寺宝ヶ丘付近

藤原武智麻呂伝」に「至于季秋、毎与文人才子、集習宜之別業、申文会也、時之学者、競欲預座、名曰竜門点額也」と記された藤原武智麻呂の山荘。所在地は不明であるが、法隆寺伽藍縁起並流記資財帳に「添下郡菅原郷深川栗林一地、東限道 南限百姓家習宜池 西北限百姓田」、西大寺田園目録に「添下郡右京西大寺西山内一段字スケノ池、但池ハ今田也、石塔院ノ西谷也」とみえることから、西大寺奥院の北北西二〇〇メートルの称徳天皇山荘跡と伝える庭園遺跡辺りに比定する説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報