織部町(読み)おりべまち

日本歴史地名大系 「織部町」の解説

織部町
おりべまち

[現在地名]金沢市東山ひがしやま一丁目

観音かんのん町の中ほどから南へ向かい、二またに分れ南西と東に走る二筋の通りに沿う片側町。元禄九年(一六九六)の書上(「片岡孫作筆録」加越能文庫)に地子町とある。文化八年(一八一一)の家数約一〇(金沢町絵図名帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の織部町の言及

【織手】より

…これらの諸国の織手は,国衙の工房に上番する期間以外は,絹,絁などの一般調庸物の織成に従事したものと考えられる。 9世紀に入ると,織部司では染戸が廃止されたかわりに,定数40人の織手が加えられ,居住地で織成させる方式から,直営工房を拡大して高級織物を確保する方式に転換がはかられており,これらの在京織手の集住地区を織部町と称した。織部司織手は,一部が内蔵寮(くらりよう)に分属したほか,平安後期には院織手,殿下織手などの名で有力貴族に所属するようになり,織部司にかわって,内蔵寮御服所が京都の織手集団の主要な掌握勢力となった。…

※「織部町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」