稲頼庄(読み)いなよりのしよう

日本歴史地名大系 「稲頼庄」の解説

稲頼庄
いなよりのしよう

南北朝期からみえる庄園名。出雲国神門かんど郡に属する。現在の湖陵町三部さんぶから多伎たき町にかけての地域にほぼ相当する。建武三年(一三三六)四月一日の塩冶高貞寄進状(出雲大社諸社家所蔵古文書)に「出雲国稲頼庄三分方公文」とみえる。当庄域は鎌倉中期まで園山新そのやましん(神西新庄)に含まれていたが、鎌倉末・南北朝期に至って、園山新庄から分離して稲頼庄が成立した。嘉吉三年(一四四三)八月八日の某利清寄進状(千家家文書)には「利清本領之内稲頼庄宇□、大社御神田五反小」とあり、杵築大社(出雲大社)の神田があった。また応仁元年(一四六七)一一月一〇日の古志為信安堵状(日御碕神社文書)に「神門郡稲頼庄安原二分内御崎御神田事」とみえ、日御崎社(日御碕神社)の神田も存在していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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