稲木庄(読み)いなきのしよう

日本歴史地名大系 「稲木庄」の解説

稲木庄
いなきのしよう

現丹羽郡一帯・江南市南部辺り。旧丹羽郡の長講堂領。「和名抄」に稲木郷があり、これが庄となったものか。「延喜式」神名帳の丹羽郡内に「稲木イナキノ神社」とみえ、現江南市寄木よりき稲木いなぎ神社がある。玄理以来代々良峯氏が丹羽郡司を世襲してきたが、承安元年(一一七一)から建保四年(一二一六)に郡務をつかさどっていた良峯高光は、惣領分をもって稲木庄と号し、長講堂に寄進した(良峯氏系図)。長講堂領として、宣陽門院(後白河皇女覲子内親王)を経て、のちに持明院統の重要な経済的基盤となった。領家職は池大納言平頼盛家が有していたので、いったんは平家没官領注文に載せられたが、源頼朝が頼盛母故池禅尼の恩徳に報いるため、もとのように家領三四ヵ所について彼家の知行を安堵した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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