秋田藩北浦一揆(読み)あきたはんきたうらいっき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「秋田藩北浦一揆」の意味・わかりやすい解説

秋田藩北浦一揆
あきたはんきたうらいっき

1834年(天保5)1月出羽(でわ)国(秋田県)仙北(せんぼく)郡前北浦地方、同年2月から3月同郡奥北浦地方で起こった百姓一揆。近世秋田藩で起こった数多い一揆のなかで、もっとも大規模なもの。直接の原因は、前年の大凶作で米の確保に困った藩が、農民の飯米分以外の米をすべて指定値段で買上げを強行しようとしたことにあり、それに藩政への不満も重なった。1月前北浦の数千人の農民が城下久保田(くぼた)への出訴を企てたが途中で阻止された。ついで2月奥北浦の農民が参集、やはり城下に向かう途中で阻止、かわって藩政改革を含む17条の要求を提出したが、結局は退けられた。しかし、この一揆は後の藩政に大きな影響を与えた。

[高橋秀夫]

『小沼洋子著「凶作と一揆と藩政」(百姓一揆研究会編『天保期の人民闘争と社会変革 上』所収・1980・校倉書房)』

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