福島・福島院(読み)ふくしま・ふくしまいん

日本歴史地名大系 「福島・福島院」の解説

福島・福島院
ふくしま・ふくしまいん

中世の櫛間くしま・櫛間院を継承した地名で、高鍋藩の飛地領である現串間市域を管轄する地方支配の単位でもあった。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉から新納にいろ(現児湯郡)三〇〇町・櫛間四〇〇町などを与えられた秋月種長は当初財部たからべ(高鍋)(現高鍋町)に在城したが(父種実は福島金谷に居住)、慶長四年(一五九九)朝鮮から帰国後は福島へ移った。同五年一〇月山城伏見への出陣から戻った種長は高鍋城の普請を命じ、一一月福島へ帰城、家中安堵を行っている。同九年一一月種長は財部へ本拠を移し、併せて筑前から福島今町いままちへ引移していた縁の深い安養あんよう寺を高鍋に移転させた(以上「本藩実録」)。以後福島の地は高鍋藩の飛地領となり、出役の支配下に置かれた。当初の出役支配の詳細は不明だが、寛永二〇年(一六四三)の人給帳改(隈江家記)に福島衆徒士五人・福島所々番二八人・同職人一一人・同牧別当五人・同催司一二人・同屋敷持五〇人が書上げられている。福島衆の知行は五石から一〇石。所々番は福島に設置されていた八ヵ所(鹿谷口・岩井田口・市瀬口・高松口・秋山口・奈留口・大河原・真萱)の番所の番衆である(知行は二―三石)。職人は船大工四名(知行は各一〇石)・鍛冶一名(同五石)・木わき四名(同各五石)・樽屋一名(同三石)・石切一名(同八斗)。牧別当は五ヵ所の藩牧(市木牧・池尾牧・あいか崎牧・都井牧・くろい牧)の番人(管理者)で、知行は各五石。催司は福島の地方支配のために編成された郷の庄屋役をさす呼称で、寛永一八年には南方みなみかた・西方・北方・都井とい(以上各一名)市木いちき本庄ほんじよう(本城。以上各二名)の各郷のほか今町(西方村)みなと(本城村)崎田さきだ村・都井村に置かれていた(寛文七年催司から庄屋へ名称変更)。屋敷持の性格は判然としないが、戦国期の地侍の系譜を引く者とみられ、地方支配の機構のなかでなんらかの役割を果していたものとみられる。このほか町場化していた今町には老名三名がおり、上ノ町(西方村)には福島中の馬改役を勤めるものがいた(以上「本藩実録」、高鍋藩人給帳)

江戸時代中頃までは寛永期に布かれた出役機構で地方支配が行われていたとみられるが、必ずしも安定していなかったようである。飛地領であるうえ、地侍の系譜を引く在地勢力が強かったことがその要因としてあげられるが、つまびらかにはしえない。百姓騒動も散発的ではあるが起こっている(寛文六年、天和元年、元禄一五年など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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