矢坂村(読み)やさかむら

日本歴史地名大系 「矢坂村」の解説

矢坂村
やさかむら

[現在地名]藤里町矢坂

北は粕毛かすげ村、東は藤琴ふじこと川を挟んで大沢おおさわ村、西は梅内うめない(現二ッ井町)、南は荷上場にあげば(現二ッ井町)に接する。

夏井家文書に、慶長一九年(一六一四)に夏井氏が夏井郷(現鹿角かづの市)から荷上場村の支郷八酒やさか村に移住して以来、村の開発が進み、正保四年(一六四七)検地が行われ、その際、八酒村が八坂村に改められたとあるが、同年の出羽一国絵図に村名はない。また寛永元年(一六二四)には「八坂村の内」に差紙が出ている(夏井家文書)。宝永四年(一七〇七)に本郷荷上場村から分離して矢坂村と称し、荷上場村の支郷つつみ村・船場堤ふなばつつみ村・如来瀬によらいせ村が当村の支郷になったが、同時に当村は藤琴村を親郷とした(矢坂郷土史)

古くから能代御材木郷となり、役銀一四匁が課せられたが、実際は本田で四斗、開田で三斗の木本米きもとまいを納めていた。しかし享保五年(一七二〇)に境目郷に加えられ、藤琴村・粕毛村の拠人への助力代償として、木本米は本田で二斗、開田で一斗五升に減じられた(「乍恐奉願候御事」夏井家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報