相田炭鉱(読み)あいだたんこう

日本歴史地名大系 「相田炭鉱」の解説

相田炭鉱
あいだたんこう

現飯塚市のほぼ中央部、相田・伊岐須いぎすなどにあった炭鉱。現在は閉山。おもに汽缶燃料、一部はガス発生用原料炭として阪神・名古屋・中国・北九州の各地方で消費された。当鉱は二瀬ふたせ村大字相田にあった林田徳三郎の共同鉱区嚆矢とする。明治二六年(一八九三)に中野徳次郎・松本潜・伊藤伝六の所有に帰し、同二九年に開坑工事に着手したとされるが(筑豊炭礦誌・本邦重要鉱山要覧)、別の資料によるとすでに明治二八年に送炭がなされていることから(筑豊五郡石炭礦区及送出炭一覧表)、開坑は同年以前であり、中野らにより改めて開削されたと推測される。なお中野と伊藤は松本配下の鉱夫出身であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android