相撲町(読み)おすもうちよう

日本歴史地名大系 「相撲町」の解説

相撲町
おすもうちよう

[現在地名]熊本市安政あんせい町・下通しもとおり一丁目

東のおかご町と西の下通町との間を南北に走る通り筋で、北は安巳橋やすみばし通の三年さんねん坂のほぼ真ん中から南はくすのき町につながる。江戸時代武家屋敷地のため町名がなかったが、明治六年(一八七三)ヲスモウ丁と称し、同一三年に相撲町となった。寛永二〇年(一六四三)相撲の司家一五代吉田氏実がこの通りに屋敷を定めたといわれ(熊本藩年表稿)、それに伴い相撲関係者が屋敷を構えるようになったためと思われる。しかし吉田司家では藩主細川綱利の招聘により寛文元年(一六六一)草葉くさば町に屋敷を構えたと伝えるので、寛永年間招聘説は検討を要する。

この通りの北半分の東側には、東の駕町と結ぶ三本の東西小路に沿って屋敷が多くある。

相撲町
すもうまち

[現在地名]金沢市かた町二丁目

出大工でだいく町の西側にあり、大野庄おおのしよう用水へ至る小路を挟む両側町。東・南は養智院前ようちいんまえ。町名は前田利常の時代に相撲者を召抱え宅地を与えたことにちなむといわれる(金沢古蹟志)元禄九年(一六九六)の地子町の書上(「片岡孫作筆録」加越能文庫)に町名はみえないが、長門ながと町と出大工町に挟まれて記載されている「周防町」をもって、相撲町に該当させる説もある(稿本金沢市史)。享保一八年(一七三三)四月上伝馬かみでんま町から出火し一〇軒が類焼した(「御年表」加越能文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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