白尾村(読み)しろおむら

日本歴史地名大系 「白尾村」の解説

白尾村
しろおむら

[現在地名]七塚町白尾

河北郡北西部、内灘うちなだ砂丘の一部である河北台かほくだい砂丘上に日本海に面して位置し、北は外日角そとひすみ村、東は内日角うちひすみ村・宇野気新うのけしん(現宇ノ気町)、南は大崎おおさき(現同上)。「源平盛衰記」巻二九によれば、寿永二年(一一八三)五月加賀国に侵攻した平家軍のうち、搦手の能登国志雄しお山に向かった平通盛らの率いる三万余騎が「能登路白生ヲ打過テ、日角見・室尾・青崎・大野・徳蔵宮腰マテソツヽキタリ」とみえ、平家軍は河北潟西岸を砂丘伝いに北上した。正安二年(一三〇〇)三月二三日の関東下知状(賀茂別雷神社文書)によれば、金津かなつ庄と北英田きたあがた保との境界相論に際し、金津庄側は庄域の南限を湖(河北潟)とし、未決となったものの「塩海浜」については「塩海南堺者往古大道」であり、北英田保地頭代覚心が「日角南端在家并小畠」を押領したと主張しているので、当地は金津庄日角村および北英田保の境界付近であったと思われる。

慶長六年(一六〇一)一二月一三日付の石川郡・河北郡一六ヵ村の浜方地子を免除した前田利長判物(加賀藩史料)に「しろ村」とみえ、現在でも「しろ」とよぶ人も多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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