河北郡(読み)かほくぐん

日本歴史地名大系 「河北郡」の解説

河北郡
かほくぐん

面積:一九五・五八平方キロ
内灘うちなだ町・津幡つばた町・町・七塚ななつか町・高松たかまつ

県のほぼ中央に位置。西は日本海に面し、北は押水おしみず町、東は富山県小矢部市と一部同県福岡ふくおか町、南は金沢市。室町期までは加賀郡と称した。もとは越前国に属したが、弘仁一四年(八二三)三月に加賀国が成立して加賀国加賀郡となり、同年六月には石川郡が分立した。郡名が加賀郡から河北郡に変わったのは、室町期以降であるが、近世の寛文一一年(一六七一)から元禄一三年(一七〇〇)の間は加賀郡が正式名称とされた。昭和に入って郡の南半分が金沢市となったほか、羽咋はくい郡の一部を編入して現郡域となった。JR北陸本線、津幡駅で分岐するJR七尾線が通り、両線にほば並行して国道八号・同一五九号が通る。また日本海に沿って能登有料道路が貫通する。

近世の当郡は浅野川以北の加賀国北端に位置した。浅野川の南対岸は石川郡で、金沢城下が拡大し、近世末には当郡の一部が城下に編入された。北の能登国羽咋郡との境界は三国みくに山・興津きようづ峠、若緑わかみどり村・高松新たかまつしん村・長柄ながら(現高松町)であった。東は三国山・倶利伽羅くりから峠・医王いおう山などと続く礪波となみ丘陵で越中国礪波郡と接する。倶利伽羅峠は「源平盛衰記」によると越中国礪波郡の内とされていたが、中世末に至って「河北郡四番組倶利迦羅長楽寺」と記すように(「天文日記」天文七年八月二八日条)、河北郡に組込まれた。西は日本海に面した内灘砂丘があり、その砂丘によって日本海から隔離された河北潟がある。同潟には浅野川・金腐かなくさり川・森下もりもと川・津幡川・宇ノ気川などの河川が流入し大野おおの川で日本海と結ばれる。なお石川郡との郡境は、中世以前には犀川付近であったとも考えられるが未詳。

〔原始〕

縄文時代の遺跡としては、早期の楕円押型文土器を採集した高松町野寺のでらA遺跡があり、中期では宇ノ気町上山田かみやまだ貝塚や津幡町刈安野々宮かりやすののみや遺跡・金沢市笠舞かさまいA遺跡が著名である。後期に入ると宇ノ気町気屋きや遺跡が標式遺跡としてよく知られている。弥生時代には、手取川扇状地の北東端部にあたる金沢市寺中じちゆう畝田うねだ磯部運動公園いそべうんどうこうえん遺跡など多数あるが、終末期頃には高松町中沼なかぬまC遺跡や金沢市吉原七ッ塚よしわらななっつか遺跡で方形周溝墓群が出現、また古墳時代初頭には、宇ノ気町宇気塚越うけつかごし遺跡や金沢市戸水とみずC遺跡・藤江ふじえC遺跡で小型前方後方墳が出現する。金沢市月影つきかげ遺跡はその時期の標式遺跡として著名である。金沢市塚崎つかざき遺跡は玉生産遺跡として重要で、宇ノ気町鉢伏茶臼山はちぶせちやうすやま遺跡は、北陸で最初に発見された高地性集落として話題になった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報