番匠屋敷新田村(読み)ばんしようやしきしんでんむら

日本歴史地名大系 「番匠屋敷新田村」の解説

番匠屋敷新田村
ばんしようやしきしんでんむら

[現在地名]牟礼村大字豊野とよの

神代かじろ(現豊野町)の北部。天正一一年(一五八三)上杉景勝による牟礼から長沼ながぬまを経て海津かいづ城下に至る直路、神代道に沿った神代村の枝郷。その南が香白坂かじろざか(白坂峠)である。

新田開発は近世初期にさかのぼり、承応四年(一六五五)新田検地で、八七石余を打ち出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報