田辺藩(紀伊国)(読み)たなべはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田辺藩(紀伊国)」の意味・わかりやすい解説

田辺藩(紀伊国)
たなべはん

紀伊国牟婁(むろ)郡田辺和歌山県田辺市)周辺を領有した藩。領地は名草(なぐさ)郡2村、有田郡1村、日高郡34村、牟婁郡67村に及んでいた。1600年(慶長5)浅野幸長(あさのよしなが)が紀州に入国後、田辺には浅野左衛門佐(さえもんのすけ)を置いた。1619年(元和5)浅野氏にかわって徳川頼宣(よりのぶ)が入国し、付家老(つけがろう)安藤直次(なおつぐ)が田辺に配置され、紀州藩田辺領となり、3万8000石を領有した。正式に藩となったのは1868年(明治1)で、それまでは紀州(和歌山)藩の支藩的存在で、民政などはある程度の独自性をもっていた。領主は和歌山に住み、宗藩の藩政を助け、田辺には一族を置いて政治を行った。特産物として現在まで有名なものに備長炭(びんちょうたん)があり、うなぎ蒲焼(かばや)きなどに珍重されている。田辺の炭問屋備中屋長左衛門(びっちゅうやちょうざえもん)が江戸や大坂に売り広めたといわれる。1871年廃藩、田辺県を経て和歌山県に編入された。

[安藤精一]

『『田辺市誌』全2冊(1952、71・田辺市)』『安藤精一著『和歌山県の歴史』(1970・山川出版社)』

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