田熊村(読み)たくまむら

日本歴史地名大系 「田熊村」の解説

田熊村
たくまむら

[現在地名]因島市田熊町

中庄なかのしよう村の南に位置し、東は三庄みつのしよう村に接する。西方海上に豊田郡の生口いくち島があり、南にはかめ島・平内へな島の諸島(現愛媛県越智郡生名村)を望み、東南側は土生はぶ村に隣接する。八朔蜜柑の原産地。中世因島庄に含まれた。

元和五年(一六一九)の備後国知行帳では全島院島いんのしま村一村とされる。寛永一五年(一六三八)に分村して地詰が行われたが、その時の地詰帳(因島市史料)に畝数三九町一反四畝で高二七〇・〇四一石、屋敷数三五、塩田ぬい数六二とある。

田熊村
たぐまむら

[現在地名]宗像市田熊・日の里ひのさと一―二丁目・同四―六丁目・同八―九丁目・大井台おおいだい和歌美台わかみだい

つり川の支流八並やつなみ川中流域、東郷とうごう村の西に位置する。「宗像大菩薩御縁起」に田熊貴船、正平二十三年宗像宮年中行事(宗像大社所蔵文書/神道大系神社編四九宗像)には「田熊貴船社 十一月神事」がみえる。小早川時代の指出前之帳では東郷村の枝村。慶長石高帳に田熊村とあり、慶長九年(一六〇四)の検地高一千九八三石余、うち大豆五四六石余。元禄五年(一六九二)には高二千二一石余、人数五〇〇(田圃志)

田熊村
たのくまむら

[現在地名]津山市田熊

勝北しようぼく郡に属し、西は福井ふくい村、北東下野田しものだ(現勝田郡勝北町)、東は植月中うえつきなか(現同郡勝央町)領主変遷は福井村に同じ。正保郷帳では田方五七八石余・畑方七二石余とあるが、高合計は六四三石余で計算が合わない。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では八五二石余、うち改出高一六〇石余・開高四八石余。「東作誌」では上分・下分に分れ、上分二〇六石余・下分六五六石余、下分は六三戸・三〇〇人。高札場が上分に一ヵ所、溜池が下分に三ヵ所(大砂池・西の谷池・小村谷池)ある(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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