田幡村(読み)たばたむら

日本歴史地名大系 「田幡村」の解説

田幡村
たばたむら

[現在地名]北区田幡・田幡町・七夕たなばた町・城見しろみ通・金城きんじよう町・中富なかとみ町・若園わかぞの

名古屋城の北にある。東を東志賀ひがししが村と接する。大須宝生ほうじよう(現中区)蔵の「釈論開解鈔」巻九の奥書に「応安五年五月六日於尾張国山田荘田幡宿坊書写了 金剛資宥照」、巻一二の奥書に「応安五年五月十八日於尾州山田荘田幡郷宿坊如形書写畢 金剛資宥照」とみえるのが、田幡の初見である。ここにみえる宿坊は「徇行記」に「志略曰、西塔坊墟、在西来寺東北、古有寺、真言宗、号西塔房、其墟云々」とあるものであろう。

田幡村
たばたむら

[現在地名]神栖町田畑たばた

北は木崎きざき村。田畑村とも記す。天正一九年(一五九一)東義久知行地となり、文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「八拾四石三斗五升 かめのかう・たはた」とある。江戸初期に旗本領となり、寛永一〇年(一六三三)の鹿島郡中高改帳によれば、村高九三石余で、大久保氏が支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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