田中館秀三(読み)たなかだて ひでぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中館秀三」の解説

田中館秀三 たなかだて-ひでぞう

1884-1951 明治-昭和時代の地理・地質学者。
明治17年6月11日生まれ。田中館愛橘(あいきつ)の養子。明治43年からドイツ,イタリア留学。北海道帝大,東北帝大,ナポリ大で火山学,湖沼学,経済地理学講義ベスビオ火山の研究で有名。万国火山学会副会長。昭和26年1月29日死去。66歳。岩手県出身。東京帝大卒。旧姓は下斗米(しもとまい)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の田中館秀三の言及

【湖沼学】より

…日本では1899年に田中阿歌麿(1869‐1944)によって初めて湖沼学が開拓され,諏訪湖の研究などが行われた。ほかに田中館秀三(1884‐1951),宮地伝三郎(1901‐88),吉村信吉(1906‐47)らの調査研究により,湖沼学は非常に進歩した。 現在の湖沼の研究は細分化され,専門化されている。…

【田中館愛橘】より

…1944年文化勲章を受章。【山崎 正勝】 なお,愛橘の養子として同家を継いだ田中館秀三(1884‐1951)は岩手県福岡町の旧家,下斗米(しもとまい)家の三男。自然地理学者で,火山学,湖沼学に関する研究を主とし,東北大学理学部地理学科の創設に尽力した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」