生利村(読み)しようりむら

日本歴史地名大系 「生利村」の解説

生利村
しようりむら

[現在地名]万場町生利

西御荷鉾にしみかぼ(一二八六・二メートル)の南、村央を神流かんな川が東流し、左岸沿いに十石じつこく街道が通る。東は柏木かしわぎ村・麻生あそう村、北は多胡たご上日野かみひの(現藤岡市)、南は武蔵国秩父ちちぶ郡と接する。字飯島いいじまは天正一七年(一五八九)一〇月一五日の北条家宛行状写(黒沢文書)にみえ、同地内が新井治部少輔に与えられている。近世はおおむね幕府領。寛文郷帳の高五〇石余はすべて畑方。元禄七年(一六九四)検地が行われ、高二三〇石余・反別一二〇町六反六畝余で耕地はすべて畑方、紙舟役永八八〇文・漆八〇〇目のほかに絹売出し・綿売出しなどの役銭を納める(「山中領村鏡帳」黒沢文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報