琉球国高究帳(読み)りゆうきゆうこくたかきめちよう

日本歴史地名大系 「琉球国高究帳」の解説

琉球国高究帳
りゆうきゆうこくたかきめちよう

一冊

写本 東京大学史料編纂所

解説 一六三五年の寛永盛増以降に先島を除く沖縄島および周辺離島の村の石高田畠に分け、間切・島ごとに集計した帳簿。四六年に来琉した明使の接待のため、王府はその費用を薩摩鹿児島藩から宮古八重山抵当に借用した。その償還延期を訴えるために、五〇年に三司官の国頭親方が田畠の差分けをした「高究帳」を大和へ持ち上ったとあり(琉球資料)、鹿児島藩へ提出するために作成したものと考えられる。二村併記での合計高を記載したところや、数ヵ村の合計を一村で記載したところもあり、絵図郷村帳にみえる村のすべてが網羅されているわけではないが、間切・島・村の名称の変遷、石高を知るのに重要な資料。

活字本沖縄県史料」前近代一

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報