王国維(読み)おうこくい

精選版 日本国語大辞典 「王国維」の意味・読み・例文・類語

おう‐こくい ワウコクヰ【王国維】

中国、清末の文学者、史学者。字は清安。号は観堂。浙江海寧の人。青年時代は西欧近代芸術理論による文学評論に先駆的業績をあげ、辛亥(しんがい)革命の際日本に亡命してからはしだいに考証学的な古代史学に進み、甲骨、金石文の研究などに没頭した。著「人間詞話」「宋元戯曲史」「観堂集林」など。(一八七七‐一九二七

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デジタル大辞泉 「王国維」の意味・読み・例文・類語

おう‐こくい〔ワウコクヰ〕【王国維】

[1877~1927]中国、近代の歴史学者。海寧(浙江省)の人。あざなは静安。号は観堂。西欧の哲学を学び、それに基づいて中国古典再評価を行う。羅振玉らしんぎょくに認められ、日本に留学。辛亥しんがい革命のとき日本に亡命、中国古代史研究に画期的な業績を残した。著「観堂集林」など。ワン=クオウエイ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王国維」の意味・わかりやすい解説

王国維
おうこくい / ワンクオウェイ
(1877―1927)

中国、清(しん)末期から中華民国初頭の詩人、学者。字(あざな)は静安。号は観堂。没後に忠(ちゅうかく)と諡(おくりな)された。12月3日生まれ。浙江(せっこう/チョーチヤン)省海寧の人。科挙に失敗したのち、1898年上海(シャンハイ)に出て時務報館に勤め、かたわら羅振玉(らしんぎょく/ルオチェンユイ)が主宰した東文学社で日本語、英語などを学ぶ。師に藤田剣峯(ふじたけんぽう)(豊八(とよはち))や田岡嶺雲(たおかれいうん)がいた。1901年(明治34)東京物理学校に留学。翌1902年病気で帰国し、羅振玉主編の『教育雑誌』の編集などに従う。このころからカントニーチェショーペンハウアーらの哲学への関心を深め、やがて興味は文学や教育にも及ぶ。この約10年間、これら各分野にわたって著述、翻訳に健筆を振るうが、なかでも『紅楼夢評論』は、ショーペンハウアーの美学に基づき、『紅楼夢』を中国文学に欠けている悲劇の文学と位置づけたもので、中国における最初の体系的な近代批評とされる。それらを集めて『静安文集』(1905)を刊行。また『人間詞話(じんかんしわ)』や、今日も古典的名著とされる『宋元(そうげん)戯曲考』(1912)を書いた。

 辛亥(しんがい)革命後、羅振玉に従って京都に住んだ(1911~1915)が、このころから文学を離れて歴史学の研究に進み、『流沙墜簡(りゅうさついかん)』(1913)、『殷卜辞(いんぼくじ)中所見先公先王考』『同続考』(1917)をはじめ、考古学甲骨学、音韻学などにわたって大きな業績を残した。1925年清華大学教授となったが、1927年6月2日、国民革命軍の北京(ペキン)入城を前に北京・昆明池(こんめいち)に投身自殺した。清朝に殉じたとされるが、疑う者も多い。著作は『王忠公遺集』『観堂集林』などに収める。

[伊藤虎丸 2016年3月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「王国維」の意味・わかりやすい解説

王国維 (おうこくい)
Wáng Guó wéi
生没年:1877-1927

中国,清末から民国の歴史学者。浙江省海寧県の生れで,字は静安,号は観堂。1898年(光緒24)に上海の東文学社に入学してしだいに学才を認められ,以後羅振玉から特別に目をかけられるようになる。1901年に日本に留学して物理学校に学んだが脚気を患って翌年に帰国し,羅振玉に従って師範学校の教職に就いたりする。11年,辛亥革命がおこると羅振玉とともに日本に亡命し,京都に滞在した。彼は東文学社在学時からショーペンハウアーやニーチェなどの哲学に共鳴し,また文学を愛好した。従来,研究の対象としてはあまり顧みられなかった劇文学の研究を開拓し(《宋元劇曲史》),また詞の批評《人間(じんかん)詞話》は人口に膾炙(かいしや)している。しかし亡命後は羅振玉の勧めによって中国古典の学問に精進し,羅振玉を助けて甲骨文,金文,敦煌出土の簡牘(かんとく)など,当時はじめて世に現れた史料の整理と研究に専念した。彼は古典を駆使し,清朝考証学の流れをくむ精密な分析と抜群の着想によってこれらの新史料を解読し,史学をはじめとするあらゆる分野で多くの新知見を発表したが,なかでも注目されるのは殷墟出土の甲骨文に関する一連の研究である。そこでは甲骨文にみえる祖宗名が《史記》殷本紀などに所載の殷王朝の系図と一致することから,甲骨文が殷代の第一等史料であることを証明するとともに,殷・周両王朝の家族や社会や政治制度の大きな相違を論じて古代史研究に画期的な足跡を残した。1916年に帰国後は,上海の倉聖明智大学教授,25年には北京の清華研究院教授となる。終生,清朝の遺臣をもって任じていた彼は,27年国民軍馮玉祥(ふうぎよくしよう)の北京入城を前にして清朝の前途を悲観し,頤和園内の昆明池に投身自殺した。宣統廃帝から忠愨(ちゆうかく)の諡(おくりな)を賜った。主要な論文は《観堂集林》に収められているが,彼の生涯の友であり,よき師であった羅振玉が万感こめて整理した《海寧王忠愨公遺書》には全著作がほとんど網羅されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王国維」の意味・わかりやすい解説

王国維
おうこくい
Wang Guo-wei

[生]光緒3(1877).12.3.
[没]1927.6.2. 北京
中国,清末~民国の歴史家,文学者。浙江省海寧県の人。字,静安。号,観堂。光緒 24 (1898) 年上海に出て羅振玉に認められ,同 27年日本に留学したが,病気で翌年帰国。辛亥革命の際,羅振玉と日本に亡命して京都に住んだ。 1916年帰国し,北京精華学校などに勤めたが,身辺上の問題,精神上の行きづまりもからんで,清王朝の滅亡に殉じるように投身自殺した。初め西洋哲学の研究から文学の研究に入り,『紅楼夢評論』 (1904) ,『人間詞話 (じんかんしわ) 』などで中国近代文学批評のさきがけとなった。京都滞在中から清朝考証学に戻って,史学,金石学,言語学などにすぐれた業績を残している。その膨大な著作は,死後,羅振玉が編集した『王忠愨 (おうちゅうかく) 公遺書』 (27~28) に収められている。

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百科事典マイペディア 「王国維」の意味・わかりやすい解説

王国維【おうこくい】

中国,清末・民国初めの文学者,歴史学者。浙江省海寧県の出身。1901年日本留学。帰国後辛亥(しんがい)革命のため羅振玉と日本へ亡命。京都に住み,考証学の手法で経・史の研究に専念。甲骨金石文の研究,解読で画期的業績をあげる。1916年帰国,教職についたが,1927年清朝の前途に絶望し,昆明池に投身自殺。著書《人間(じんかん)詞話》《宋元戯曲史》など。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「王国維」の解説

王国維(おうこくい)
Wang Guowei

1877~1927

清末民国初期の史学者。浙江(せっこう)省海寧県の人。初め西洋哲学,中国の戯曲を研究。辛亥(しんがい)革命後,日本に亡命して京都に住み,中国の古典,古代史の研究に専念。帰国後教職にあったが,中国の前途に絶望し入水自殺した。その研究は広範で,敦煌(とんこう)発見の漢代木簡殷墟(いんきょ)発見の甲骨文字の研究などは,特筆すべきものである。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「王国維」の解説

王国維 おう-こくい

1877-1927 中国の歴史学者。
光緒3年10月29日生まれ。上海の東文学社で羅振玉(ら-しんぎょく)にまなぶ。辛亥(しんがい)革命がおこると日本に亡命。金石文,甲骨文などの研究で業績をのこした。1916年帰国し,精華研究院教授となるが,国民革命軍の北京入城を前にして1927年6月2日自殺した。51歳。浙江省出身。字(あざな)は静安。号は観堂。著作に「宋元戯曲考」「人間(じんかん)詞話」など。

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世界大百科事典(旧版)内の王国維の言及

【金石学】より

…また山東の陳介祺(ちんかいき)や呉式芬(ごしきふん)も青銅器の収集,鑑識と金文解読に卓越していた。民国に入り,王国維が出ると,金文研究は飛躍的に前進する。器形と金文書体への新しい解釈,他の文献史料との有機的結合によって,金文を使った古代史研究に新しい時代が画された。…

【古文書学】より

…いずれも発見されるごとに学界の注目を集め,多数の学者が研究を行い,甲骨学,簡牘(かんどく)学,敦煌学という名称も生まれた。以上の4文書群すべてに研究の先鞭をつけ,その後の発展に貢献したのは羅振玉と王国維である。解放後の中国では,さかんな古墓の発掘にともない各地から戦国・秦漢の帛書や竹木簡が大量に出土し,新たなトゥルファン文書も発掘された。…

【竹書紀年】より

…伝承されてきたテキスト,いわゆる《今本竹書紀年》には後人の手が入っていて信頼性に欠け,それゆえ,唐・宋以前のこの書物の引用文から〈古本〉を復元しようとする作業がいく人かの学者によってなされている。王国維《古本竹書紀年輯校》がそうした成果の一つである。【小南 一郎】。…

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