玉庭村(読み)たまにわむら

日本歴史地名大系 「玉庭村」の解説

玉庭村
たまにわむら

[現在地名]川西町玉庭

いぬ川上流にあり、北は朴沢ほおのさわ村、東は大舟おおふね村、西は須郷すごう(現西置賜郡飯豊町)。山ひだの多くの沢に数多くの堤が築かれている。永正六年(一五〇九)五月一一日、伊達尚宗が湯村信濃に宛てた判物のうちに「従西大枝方替地、出羽国下長井玉庭郷」とあり、この地は同一〇年六月二六日にも再び伊達稙宗から湯村助十郎に安堵されている(伊達正統世次考)。大永七年(一五二七)九月五日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)に「舞田五郎所より買地、下長井玉場之郷」とあり、当地をさすか。天文七年(一五三八)段銭古帳に「三十三貫五百文 玉にハ」とある。天文の乱中の天文一三年二月一九日伊達晴宗は西大枝右衛門義政に「玉庭内国分太郎左衛門所抱地」を、同一四年四月一六日には同人に「玉庭郷内金屋方」を安堵している(伊達正統世次考)。同二二年の晴宗公采地下賜録によれば、「玉にハの内、かなやかた、こくふん大郎左衛門ちきやうのとをりのこさす」が新田遠江守に、湯村図書分のちくこ在け・はゝの在け・道中在け・こんけんたう在けが宮崎与一郎に、あらくらさいけ・いぬかいさいけが遠藤太郎左衛門娘に、めうさいてん・西大枝弥三郎本地が上野山城に、田中さいけが西大枝源三に、大のやしきが我妻備中に、安堵ないし下賜されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android