狭穂彦(読み)さほびこ

朝日日本歴史人物事典 「狭穂彦」の解説

狭穂彦

古事記』『日本書紀』によれば,垂仁天皇への反乱伝承を持つ人物。父は開化天皇皇子の日子坐王。『古事記』には沙本毘古と記される。母は沙本之大闇見戸売(沙本は奈良市法蓮町周辺の地)。皇位簒奪を企て,垂仁天皇の后となっていた妹の狭穂姫に天皇を殺すようにそそのかす。狭穂姫は一度は承諾するが,天皇への情愛のためこれを果たせず,謀反は露見する。狭穂彦は砦にたてこもり朝廷の征討軍と戦うが,やがて妹と共に死ぬ。妹を謀反に加担させるとき,狭穂彦は兄妹ふたりで支配権を握ろうと誘う。これは兄妹(または姉弟)で支配するヒコヒメ制の政治形態に基づいたものと考えられ狭穂彦はヒコヒメ制の復権を企て,そしてこれに殉じた者ともいえる。<参考文献>山崎正之「叛乱物語の一位相」(土井清民編『古事記・王権と語り』)

(寺田恵子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「狭穂彦」の解説

狭穂彦 さほひこ

記・紀にみえる開化天皇の孫。
彦坐王(ひこいますのおう)の子。垂仁天皇の皇后である妹の狭穂姫(さほひめ)に,天皇殺害を命じ天下をとろうとするが妹は実行できず,逆に天皇に攻められる。稲城(いなぎ)をきずき応戦したがおよばず,妹とともに火中に没したという。「古事記」では沙本毘古。

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