片庭村(読み)かたにわむら

日本歴史地名大系 「片庭村」の解説

片庭村
かたにわむら

[現在地名]笠間市片庭

仏頂ぶつちよう山の東麓にあり、東は箱田はこだ村。涸沼ひぬま川の支流片庭川が村内を貫流する。中世は笠間氏の支配下にあり、弘安大田文に東郡として「方庭四十七丁三段」とあり、嘉元大田文には「行庭二十三丁九反三百歩」とある。江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。「郡官日省録」(武藤家文書)によると慶安二年(一六四九)検地で村高六七四・二六五石となり、万治三年(一六六〇)・延宝四年(一六七六)の新開検地で合せて六一石余を打出す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報