東郡(読み)ひがしごおり

日本歴史地名大系 「東郡」の解説

東郡
ひがしごおり

戦国期以来使用される広域通称。国中くになか地域を三分した場合の東側、笛吹川以東地域をさす。「勝山記」文正元年(一四六六)条に、閏一〇月二五日「甲州東郡久速立正寺開山先師日朝上人御死去」とみえる。永禄二年(一五五九)三月二七日の武田晴信判物(熊野神社文書)に「当国東郡熊野宮社領」とある。同五年正月二三日の武田信玄印判状写(「巨摩郡古文書」若尾資料)には「東郡筋塗師衆」に五人前の棟別銭を免除するとあり、天正二〇年(一五九二)二月一四日の加藤光政身延山末寺屋敷免許状(久遠寺文書)にも東郡筋とみえて、戦国末期には東郡筋の呼称もあったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報