片山郷(読み)かたやまごう

日本歴史地名大系 「片山郷」の解説

片山郷
かたやまごう

新座市南部、黒目くろめ川流域の旧片山地区一帯に比定される。弘安二年(一二七九)の国庫納米員数注文(金沢文庫文書)に武蔵国衙に納入すべき五升米について「片山 五石四斗七升五合」とあり、段別五升であろうから片山郷の公田は一〇町九段一八〇歩という計算になる。片山郷を本貫地とする平姓片山氏は、右馬允広忠が承久の乱の戦功で承久四年(一二二二)三月二四日に丹波国和知わち(現京都府和知町)地頭職を与えられ(嘉禎四年七月三日「北条時房下知状案」片山文書)、やがてその子孫は同庄に移住した。

片山郷
かたやまごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「片山」と記し、東急本は「加多也万」と訓ずる。「土佐幽考」は「在大曾郷之南」とし、「日本地理志料」は「亘片山・里改田・浜改田・十市・下田・稲生ノ諸邑古ノ郷域」とする。この地は現南国市の南部、中央から西側にかけての地にあたり片山の遺名が現存するほか、条里地割が確認できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報