演武館跡(読み)えんぶかんあと

日本歴史地名大系 「演武館跡」の解説

演武館跡
えんぶかんあと

[現在地名]鹿児島市山下町

現在の中央公園の中央部分にあたる。造士ぞうし(聖堂)の北に隣接し、面積四千八三九坪(天保切絵図)。安永二年(一七七三)島津重豪が武の修練場として諸稽古場を設け、天明六年(一七八六)九月演武館に改称された(列朝制度)。剣術二ヵ所、槍術・弓術各一ヵ所の稽古場と馬場が設けられ、犬追物の稽古場が付属していた。安永二年二月普請奉行へ建設の指示が出され、同年一〇月竣工。城下士・諸外城への達によれば、一一月一日を稽古初めとし、武術の師匠家の稽古日を次のように定めた。馬術は初日川上庄八郎、二日目川田彦七・菱刈新五兵衛、三日目川上庄八郎、四日目町田佐次右衛門の順で各師範家が交替で指導し、槍術は梅田・佐久間の二師範が隔日ごと、弓術は東郷平田高田伊集院の四師範が三交替、剣術は東郷・田中・大山木藤・和田の五師範が一組、大脇・野崎・小野・東・有川・加藤・鈴木の七師範が一組となり、五交替で指導した(列朝制度)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報