漆戸村(読み)うるしどむら

日本歴史地名大系 「漆戸村」の解説

漆戸村
うるしどむら

[現在地名]敷島町漆戸

打返うちかえし村の東、あら川の支流亀沢かめざわ川流域にある。永禄三年(一五六〇)一二月一七日に武田氏から亀沢に漆二〇盃の納入が命じられている(「武田信玄印判状」桑原彦次家文書)。これを生産したのは漆戸と推定され、同八年六月吉日の甲州二宮造立帳(美和神社文書)に漆戸主水佑房光がみえる。慶長七年(一六〇二)の菅口之内漆戸村検地帳(県立図書館蔵)によると反別は畑二町九反余、屋敷一一八坪・屋敷数六。

漆戸村
うるしどむら

[現在地名]上田市大字漆戸

かん川下流東岸段丘上の村。東はもり村西は神川を隔てて野竹のだけ村、南は小井田こいだ村、林之郷はやしのごう、北は下郷しもごう村と境をなす。集落の南には条里的遺構を残す水田地帯が広がる。

永禄八年(一五六五)一一月の武田信玄の諏訪社上社造営再興次第(諏訪大社上社文書)に、「正物合三俵壱斗八舛」として、大宮御門屋の造宮料を課せられている。

近世は初め真田領、元和八年(一六二二)仙石氏領となり、寛文九年(一六六九)五月矢沢・下郷・赤坂・岩清水・小井田・森・林之郷・漆戸の八ヵ村は、仙石政勝に分知され、矢沢旗本領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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