滝部村(読み)たきべむら

日本歴史地名大系 「滝部村」の解説

滝部村
たきべむら

[現在地名]豊北町大字滝部

豊浦郡北部の七ヵ村の中央に位置し、北は阿川あがわ村・粟野あわの村、東は田耕たすき村、南は宇賀うか村、西は神田下かんだしも神田上かんだかみの両村に接する。萩藩領で先大津宰判所属。

田耕天神社(現田耕神社)の由来を記した「大護社録・天神託宣秘書」に「滝ノ辺」とあり、江戸時代の絵図などにもみえ、古くは「たきのべ」と称したらしい。慶長五年(一六〇〇)検地帳から寛永三年(一六二六)の熊野帳までは滝部郷とあり、元禄一二年(一六九九)の郷帳より滝部村となる。

「地下上申」は村名の由来を、「当村之内末森と申小村之内に滝が迫と申所有之、此所に滝御座候、此滝のかみは小川有之、此川水滝の上に溜り有之、夫より流れ凡六間程落ち、又下にて水溜り、夫より下は小川に成流落申候、滝の上之溜りは半間四方程細き淵有之、下滝の溜りは九尺四方程も有之淵にて御座候、上の溜り淵をば男滝、下の淵をば女滝と申伝候、以前は於此滝に雨乞抔仕たる由申伝候、古滝部と申は此滝の辺の村故にか滝部村と申ならはし候由申伝候」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報