湯次庄(読み)ゆすきのしよう

日本歴史地名大系 「湯次庄」の解説

湯次庄
ゆすきのしよう

あね川と草野くさの川の合流地点を中心に姉川の北に広がった庄園。古代の湯次郷が庄園となったもので、弘仁一〇年(八一九)二月一六日の大原郷長解(東浅井郡志)に「浅井郡湯次郷」とみえる。草野川を境に東の上庄、西の下庄とに分れていたものと考えられる。

正治二年(一二〇〇)二月七日の吉田経房処分状写(御遺言条々)に「参川守資経」「湯次庄最勝光院御領」とみえる。建治二年(一二七六)一〇月一七日付の吉田経俊処分状案(勧修寺家文書)には「治部大輔経継分」として「湯次庄内資継・資通給物、彼一期之後、可為経継分」とみえる。資継・資通は吉田(坊城)家の家司と推定され、同家が当庄内の領知権を「給物」として家司に宛行っていたこと、およびその領知権が経俊より息子の経継に譲渡されていたことなどが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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