東浅井郡(読み)ひがしあざいぐん

日本歴史地名大系 「東浅井郡」の解説

東浅井郡
ひがしあざいぐん

面積:一四二・六〇平方キロ
浅井あざい町・虎姫とらひめ町・びわ町湖北こほく

県の北東部に位置し、東部の山地と西部の平野部に大別される。西は琵琶湖に面し、北は伊香いか高月たかつき町・木之本きのもと町、岐阜県揖斐いび坂内さかうち村、東は坂田郡伊吹町、南は同郡山東さんとう町・長浜市に接する。坂内村境に金糞かなくそ(一三一七メートル)がそびえるほか、中央北部に小谷おだに(四九四・五メートル)、その南と西に虎御前とらごぜん(二〇二・七メートル)山本やまもと(三二四・四メートル)がある。葛籠尾つづらお崎東部と竹生ちくぶ島が郡域に含まれ、東部山地を草野くさの川が、西部を高時たかとき川が南流、南部を西流するあね川がそれぞれを合せ、また中部から西部にかけて川が南西流するほか、西部を丁野木ちようのぎ川・余呉よご川が西流、これらすべての河川が琵琶湖に注ぐ。国道八号(旧北国街道)・JR北陸本線が中部を南北に走り、その東側を北陸自動車道・国道三六五号(旧北国脇往還)が南東から北西に走る。なお以下の記述は当郡が成立するまでの浅井郡(現伊香郡西浅井町を含む)全体の変遷を扱う。明治一三年(一八八〇)に東・西に分立する以前の浅井郡は伊香郡を挟んで同郡の南東部(現東浅井郡域と坂田郡伊吹町域の一部を含む)と南西部(現西浅井町域)の二地域に分れており、前者は南から東にかけて坂田郡、北東で美濃国揖斐郡と接し、後者は南が琵琶湖に面し、西は高島郡、北は越前国敦賀郡と接していた。

浅井郡は「和名抄」郷里部に近江国の一〇番目の郡として記され、諸本ともに岡本おかもと田根たね湯次ゆすき大井おおい川道かわみち丁野よおの錦部にしこり速水はやみ益田ますだ新居にいい都宇つう朝日あさひ塩津しおつの一三郷をあげる。養老令の基準では上郡。訓は東急本に「阿佐井」とあるが、「節用集」は「アザ井」と訓ずる。異表記はない。郡名の初出は藤原宮跡出土木簡の「(表)浅井□□□里人」「(裏)田布西臣(船カ)身」で、平城宮跡出土木簡にも「近江国浅井」の例がある。承平元年(九三一)の「竹生島縁起(諸寺縁起集)には「浅井姫命下坐浅井評之北辺」「浅井郡人国造田次丸」「浅井郡大領浅井直馬養」「浅井郡検校出雲春雄」などとみえる。「日本書紀」天武天皇元年(六七二)八月二五日条に近江朝廷方諸将が「浅井田根」で斬罪に処されたとあり、「近江国風土記」逸文には竹生島の生成伝説とともに浅井比命の名が載るほか、「新撰姓氏録」左京皇別下によると、治田連氏が「浅井郡地」を賜っている。

〔原始・古代〕

原始時代の遺跡としては葛籠尾崎湖底つづらおざきこてい遺跡(湖北町)が知られ、古墳も数多く分布する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報